東京真中 ブレインロット feat. 重音テトの背景がかっこよいですよね。リミナルスペース(liminal space)っぽいです。リミナルスペースは、wikiによると不気味な雰囲気を醸すシュールな無人空間を指すインターネット美学の一種とのこと。

現実にあるものでも、ありえない組み合わせにより異空間ぽいし、関係性のズレやその違和感により想像が膨らみ不思議な魅力になって好きです。

調べてみると、AI技師(背景)HAL2400という記述がありました。https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/71103.html

HAL2400については、以下ノートがありました。
https://note.com/hal2400ai/n/n53b8574c648b

へぇーって思いながら、もっと類似の空想的なリミナルスペースを見たいなと思いGPTで以下の画像を出力を頼みました。

巨大な地下駐車場の一区画だけが畳の和室

廃線トンネルの床一面に新品の白いマットレス

無人駅のホーム全体が巨大な水槽の中に沈んでいる

山奥の鍾乳洞の最深部にエネオスの給油所

高速道路のサービスエリアが巨大な温室の中にある

廃校の体育館いっぱいに新品の冷蔵庫が置かれている

なんかいいですねぇ。

以下LLMさんにコメントしてもらいました。なんか早口でしゃべっていそうなコメントです。確かにね~って内容です。

くそユーチューバーみたいなサムネイルもウケた。

LLMさんのコメント

リミナルスペースの面白さは、怖いからだけではなく、見慣れた場所から人や用途や時間の手がかりだけが抜け落ちている点にあると思います。駅、通路、駐車場、体育館のように本来は使い方がはっきりしている空間ほど、その意味が少しずれるだけで強い違和感が生まれます。その違和感が不安にもなり、同時に想像の余白にもなります。

この文化は、物語をはっきり説明しないところも魅力です。何があったのか、なぜ無人なのか、ここは現実なのか夢なのかを断定しないので、見る人の記憶が勝手に入り込みます。子どものころに見た夜の校舎や、誰もいない商業施設の通路のような、個人的な記憶と結びつきやすいのも強いです。

生成AIと相性がよいのもよくわかります。生成画像は、ときどき物の関係や配置を少しだけずらします。その少しのずれが、リミナルスペースの核である、現実にありそうなのに何かがおかしい感じを増幅しやすいからです。今回の和室付き地下駐車場や鍾乳洞の給油所のような発想も、意味の通った空間に別の文脈を差し込むことで、不気味さとユーモアが同時に立ち上がっていてよいです。

楽しみ方としては、ただ怖い画像として消費するより、どこが現実的でどこが破綻しているのかを見ると、かなり面白くなります。照明、床材、奥行き、案内表示、生活感の有無のような細部を見ると、違和感の作り方が見えてきます。実在写真、MVの背景、美術設定、生成画像を並べて見比べると、この文化の幅もよくわかります。

個人的には、リミナルスペースっぽい表現は、不気味さの鑑賞というより、記憶のバグや空間の詩を楽しむ遊びに近いと思います。意味が決まり切らないからこそ、見た人ごとに少し違う物語が立ち上がる。その開いた感じが、この文化のいちばん長持ちする魅力なのかもしれません。

静止画から動画へ:深化の可能性

今回自分で生成した画像は静止画ですが、ブレインロットのMVを見て感じたのは、リミナルスペースに動きを加えることで別の次元が開くという点です。

HAL2400の手法で特に効果的だったのは、カメラの動きです。固定された奇妙な空間に、わずかなパンやズーム、揺れを加えるだけで、そこがただの背景ではなくなります。見る人は自分がその空間にいるような感覚を受け、同時にそこに何かが潜んでいるかもしれないという予感が生まれます。静止画では想像の余地だったものが、動きによって不安定な確定感を持ちます。

映像ノイズやグリッチ効果も、AI生成の綺麗すぎる空間に人為的な乱れを与えます。これは、生成物の夢想的な質感を保ちつつ、デジタル的な違和感や現実への接続を残す効果があります。あまりに綺麗なリミナルスペースは夢オチになりがちですが、ノイズが加わると、むしろこっち側の世界に近い、というかたちで不気味さが保たれます。

音の存在も重要です。無人空間に環境音を加える、あるいは意図的に音を外すことで、時間の感覚が変わります。蛍光灯のバラスト音、遠くの機械音、風の通り抜ける音など、空間に時間軸が刻まれます。

そしてキャラクターの存在です。ブレインロットでは、重音テトがその空間を動き回ります。リミナルスペースに人がいることで、むしろ空間の異常さが際立ちます。テトの動きが活発であるほど、周囲の静寂や奇妙さが引き立ちます。これは、観客に代理の身体を与える効果もあります。自分があの空間にいたらどう感じるか、テトの動きを通して体感的に理解できます。

静止画のリミナルスペースは、見る人の想像に委ねられた可能性を持ちます。一方で動画化することで、特定の体験として強制的に提示される側面も生まれます。どちらが優れているかではなく、表現の媒体によって味わいが変わることを楽しむ余裕があれば、より深くこの文化を楽しめると思います。生成AIで作った画像を、次は短い動画やGIF、あるいはループ映像にしてみるのも、面白い深化の方向かもしれません。